

1988年、TWRジャガーからアメリカのIMSAシリーズへのデビュー戦となったデイトナ24時間に出場、いきなり優勝したXJR9、№60号の1/43スケールのミニカーです。
本来はTWRジャガー、ジャガーとTWR(トム・ウォーキンショー・レーシング)の合資会社、ジャガー・スポーツが正式名称となる訳ですが、WSPC(グループC)用とともに開発され、ともにエンジンを市販車のXJ-Sをベースにし、ポルシェによりスプリントレース化していたWSPCには7リットルエンジンを、そしてこのIMSAモデルについては、燃料補給のためのピット作業時間を含めて燃費計算が勝敗を分けることから、6リットルエンジンが搭載されました。
後のXJR12モデルに向かってマシンはV6エンジンに切り替えられたりしながら、「ボディを纏ったF1」と呼ばれるように進化していく訳ですが、この時点では、当時、プロトタイプマシンによる耐久レースで揺ぎ無い速さを誇っていたポルシェに対抗するため、市販車に用いられるNHV(ノイズ・ハーシュネス・バイブレーション)対策が随所に用いられ、いかにドライバーが疲れず、速く走りきれるかを念頭に開発されていたものです。
ただ、ジャガーとTWRは合資会社設立当初から対立が絶えず、協力して開発するとしていたスーパーカーも個別に開発したり、TWR側が資金稼ぎに勇み足でワンメイクのスーパーカーレースをでっち上げてしまったり、また、契約していた三菱との共同開発事業を御座なりにしてしまうなど、運営はぞんざいになり、ジャガー・スポーツは霧散するように解散してしまいますが、開発ドライバーに若干二十歳の大学生の日本人青年がいたことは知られざる逸話です。